酒蔵ファイル~豊島屋酒造~

酒蔵名
豊島屋酒造
酒造ホームページ
所在地
東京都東村山市
久米川町3丁目14−10
いらか取扱銘柄酒造マップ
銘柄
金婚/東村山/屋守
十右衛門/銀婚/利他
TOKYO SAKE
いらか選りすぐりの酒
過去取り扱い銘柄
~屋守~
酒造りどころか
日本酒の味も
わかっていませんでした
別の仕事についていた4代目が
家業に戻り
父の勧めで出向いたのが
酒類総合研究所
そこで同室だったのは
「日高見」を造る
平孝酒造の平井孝宏氏
講義の内容を
かみ砕くように
教えてくれたという
東京に戻ったあとの飲み会で
醸し人九平次を口にし
大きな衝撃を受ける
「こんな酒を造ってみたい」
4代目は平井氏を訪ね相談
ある店を訪ねるように
アドバイスを受ける
それが東京にある小山商店
地酒の取扱いでは
全国屈指の名酒屋
平孝酒造からの帰り道
その足で飛び込んだ
「東京から全国に向けて
発信する酒を造りたい」
「うまくできたら売ってほしい」
社長の小山氏は困惑するが
平井氏からの電話もあり
背中を押してくれた
扱ってくれる酒屋が
見つかったことで
蔵関係者も一致団結
それまでの酒造りの経験と
知見は生かしながらも
コンセプトも仕込みも
まったくゼロから構築しスタート
こだわったのは
「生まれたままの味を
そのまま味わえる酒」
手間暇かけて仕込んだ酒は
濾過せず加水もせず
もろみを搾ったらそのまま瓶詰め
出来上がった酒を
飲んだ小山氏はひとこと
「粗削りだな。でも光るものはある」
初めてとしては及第点とし
最初の言葉通り
全てを引き受けてくれた上
命名に対しアドバイス
「なぜこの酒を
世に出したいと思ったのか」
「それを新しいブランドに
込めなければダメだ」
考え抜いた4代目が
つけたブランド名
それが「屋守」
この蔵を守り
この酒を大切にしてくれる人や
お店の繁栄を守りたい
それがコンセプト
今では「屋守」を愛する人々が
「ヤモラー」と呼ばれるなど
人気の酒となっている
豊島屋酒造の歴史は
江戸開幕前の
神田鎌倉河岸から始まる
前身は酒屋
店の一角で一杯飲み屋を始め
大いに賑わったのが
居酒屋の起源という説もある
歴史ある店
そして明治時代に
清酒醸造に着手
戦後に入って
現在の東村山市内の蔵を購入し
本格的に酒造りを始めたのを機に
酒造部門として独立
今に至っている
関東地区では珍しく
広島県産の好適米
「八反錦」を使用
軽みのある味わいを活かしながら
洗練された風味の酒を
醸し続ける